「我が子を全部受け止める」医師から難病「道化師様魚鱗癬」と宣告された若き母の運命への感謝と新たなる決意
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(19)
◼️検査結果は「道化師様魚鱗癬」
扉を開け、案内された椅子に座る。
斜め前にあるパソコンには、産まれてすぐの陽(よう:我が子)の写真が映し出されていた。
何度見ても痛々しい姿だった。
そして今までの皮膚の変化が、わかりやすく順に並べられていた。
しばらくは今までの治療経過、成長の経過をグラフや写真をもとに説明を受け、続いて検査結果。
結果はやはり、「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」で間違いないとのこと。
しかし、それはもう、わかりきっていたこと。
続けて先生が話す。
「脳には今のところ、怪しいものはないです」
「耳は、大きい音しか入っていないかな、という位の数値です」
「今のところ検査結果でお伝えできるのは、このくらいです」
「手足の変形については、この後、整形外科の先生が来て説明があります」
・・・なんだ。
覚悟を決めすぎていたせいか、少し拍子抜けする。
耳が聞こえないのは、もともとの難聴があったのか、この病気のせいなのか、
それはこれから検査していくとのこと。
陽がどうなるのか、何もかも、まだわからなかったころ、
夫とも私の母とも、それぞれに話し合っていたことがある。
もし目が見えなくても、耳が聞こえなくても、物をつかめなくても、歩けなくても、この子なりの生き方を見つけていこう。
陽の生きて進む道を、私たちが見つけてあげよう。
一本道ではなく、沢山の道を、私たちでつくっていこう。
そう決心していた。
それがどれほど勾配の急な坂道だったとしても、私たちが全力で後ろから支えるよ。
そう心に決めていた。
大きい音しか・・・「しか」じゃない。「なら」だよ!
大きい音なら、大きい音なら聞こえるなら、
大きい声で呼びかければ、聞こえるかもしれないんだから。
そう思っていると、整形外科の先生が息を切らして、扉を開けた。
大きい病院だから、移動も大変だろうな〜と、まだそんなことを考える余裕があった。
そして手足のレントゲンを見ながら、説明を受けることになった。
その説明の中で、私は遥か昔のことを想い出すことになるとは、思ってもみなかった。
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【参考文献】
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』(アメーバブログ)
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子(書籍)
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。